2008年03月26日

永田や佛壇店 永田さん 前書き

■今回の経営者さんは、永田や佛壇店 社長(三河地区COO)の永田浩三さんです。
〜略歴〜
1965年 岡崎市生まれ。
岡崎市康生町で育つ。
 
1983年 東京のコンピューター専門学校入学
 
1985年 大阪の老舗仏壇店 入社
 
1988年 岡崎に帰省し、永田や佛壇店入社
知立店に営業として配属される。
西尾店 営業。
豊橋店オープン 営業。
本社 本部長、専務取締役を経て、
2005年 代表取締役社長 三河地区COO就任。

→永田浩三さんのブログはこちら

→永田や佛壇店のスタッフブログはこちら
→永田や佛壇店のホームページはこちら

インタビューの様子はルーコ井上のブログで。


■今回のインタビュー会場は豊田市竹生町にあるイタリアンダイニング&バー、リストランテ Twice(トワイス)さんで行いました。

〜Twice(トワイス)〜
住所:豊田市竹生町4-62 1F
(旧加茂病院の正門前の道を北へまっすぐ、竹生通に入って、通の右手。)
TEL:0565-37-8737
営業時間:17:00〜03:00(O.S.02:00) 日曜日17:00〜0:00(O.S.23:00)
定休日:月曜日



では、ココバナスタートです!!

  


Posted by ルーコです。  at 11:00コメント(0)永田や佛壇店社長 永田浩三さん

2008年03月28日

永田や佛壇店 永田さん 第一回

〜「あなた変な人ね」と言われると嬉しくなる(笑)〜



では、今日はルーコ井上社長にインタビュー、ということで(笑)。
あれ?やっぱりだめですか?


 
だめですよ(笑)!永田社長インタビューです。
永田社長がどんな人生を歩んでこられたかをお聞きしたいと思います。
では・・・少年時代から。どんなお子さんでしたか?

 
そんな・・・昨晩何を食べたのかも覚えていないのに子供の頃なんて・・・
たぶん、今と変わらないですね。今も昔も精神年齢はお子ちゃまです(笑)。

 
えっ・・・(笑)。では、永田社長がどういう人かをじっくりお聞きしたいですね。



 
僕のことを知りたければ、「B型自分の説明書」を読んで下さい(笑)。





 
(笑)典型的なB型?



 
あの本読んで思ったんだけど、あれはまさに自分ですね。
わがまま。人がやる気満々だとやる気が出ない。
人がやる気がないと、やる気満々になってくる。
「あなた変な人ね」と言われると嬉しくなる(笑)。

 
ちょっとやな人ですね(笑)



 
そう、実はやな人(笑)。




 
では、少年時代も、何か面白いことして「変な人」と言われてたんですね。



 
そう、いたずらっ子。女の子にちょっかい出して、喜んでた普通の小学生(笑)。



 
お父さん・お母さんは、どんなふうでしたか?



 
商売人の子どもで育ってるから、放置プレイ。
両親に育てられた記憶がないんです。



 
誰に育てられたんですか?



 
お手伝いさん。
親の愛情は、あんまり感じたことなかった。
僕が幼少の頃は、お店のすぐ上が住まいの小さな仏壇屋さんだったので、
両親が一生懸命働く姿を見て育ったんだよね。
お仕事頑張ってるんだって頭では理解できても、子供の心ではなかなか理解できない。
寂しい、というのがずっとトラウマのように、先々まであったかな。
 
康生町の、永田や発祥の地にビルを建てたのが、僕が小学校1年生のとき。
それまでは、ほんとに小さなお仏壇屋さんだった。
そこから、知立・豊田・・・父がどんどんお店を増やしていって、
今の永田やに至る、ということで・・・
父が中学生のときに、父のお父さん、つまり僕の祖父が病気で亡くなってる。
親父は高校卒業してすぐ仏壇屋の手伝いをしなくてはならなかった。
弟・妹のお父さんがわりもしながら、仏壇屋の店主もしながら、
ほんとに頑張って・・・母と結婚してからは母も店に入って。
祖母と3人で頑張ってた。
普通の会社員の家庭と違って、自宅からお店に降りれば両親はいるわけだから、
頑張ってる姿を見ることができたという点はよかったよね。
父も配達とかで留守がちだったけど、その姿を僕たちに見せることが親の愛情だったのかもしれないね。

 
 
お父さんとはほとんど接する機会がなかったということで、
厳しいとか、やさしいとか、そういうこともわからない状態だったんでしょうか?


 
いやいや、たまに接するだけでもすごく厳しかった。
僕は次男坊だからまだいいけど、一番殴られていたのは兄。
まあ昔はそんなの日常茶飯事だよね。
何か悪いことしたら、ばこーん!と叩かれてね。
真っ先に叩かれるのは兄で、
僕は、それを見て、臨機応変にかまえてた(笑)。
すごく要領がいいと思う。
3人兄弟の中でも一番要領がいい。

 
確かに・・・いい意味で要領のよさそうな空気はありますね。



 
その場の空気を読み取って、それに合わせることができる、とは自分でも思うところ。
人が何を考えてるのか、感じてるのか、ということを
感じ取る力はすごくあると思う。

 
人が盛り上がってるときに、冷静になっていたり・・・?



 
もともとお酒が好きじゃないし、飲まないので、
飲み会なんかでは、合わせてるけれど実は冷静に見てるね。
経営にしても、感覚の部分はあるけど、僕は分析屋タイプなので、まず分析から入る。

 
お父さんのことをお聞きしましたが・・・
お母さんはどんな方でしたか?


 
母親のことは・・・あまり覚えてない。
幼少時代に、たまに家族旅行に連れてってもらった記憶はあっても
普段愛情かけてもらった記憶がほんとにないんです。

 
ご兄弟が寝る頃に、お母さんが帰ってくる、という生活・・・?


 
うーん・・・康生のビルを建てる前の保育園時代の記憶がほとんどないんです。
建ててからの記憶は・・・自分の部屋をそれぞれ与えられて、そこで一人で寝なさいよ、だったから・・・。
小学校の1年生や2年生だったら、たまにはお母さんと寝たいと思うでしょ・・・。
でも、母は店を夕方遅くに閉めて、それから帳面つけて・・・
って仕事をしてたから8時9時にならないと家に上がってこない。
子どもはもう寝る時間だから、接する時間がぜんぜんなかった。
それでも夜中に怖い夢を見て、甘えて一緒に寝てもらったのは兄弟の中で自分が一番多いかも。
とても怖がりで甘えん坊だったんです。

 
その後、お兄さんが大学へ行って・・・家を出られたんですか?


 
兄は、出来がよかったから、大学も一流で慶応。
東京へ出て行ったよ。
弟は国立大だしね。
僕は、3人の中で一番出来が悪かった。
高校からもう勉強するのがいやだった。
これからコンピューターの時代が来るのかなと思って、東京のコンピューターの専門学校に行かせてもらった。
2年間勉強して、卒業したと同時に、大阪の仏壇屋さんに修行で2年半。
東京の町も大阪の町も見て、で、昭和の終わり63年に岡崎に帰ってきて永田やに入社した。
10月に帰ってきて、3ヶ月くらいで平成になった。
それからもう20年、だね。




帰って来い、と言われたんでしょうか?



 
いえいえ、修行は2年半って最初から決まってたよ。
期間限定。
帰ってきて、とりあえず、営業。

 
入社はとても自然な感じで・・・?



 
まあ、最初から帰ってくることわかってたからね。
兄は先に帰ってきてたし。



 
少年時代から、そういうものだと認識していたということでしょうか?



 
両親が頑張っているのを見て育ってるから、
「僕も仏壇屋をやるんだなー」と自然に思うよね。
まあ、やらなくても何にも言われなかったとは思うけど。
親父にやれって言われたことは一度もない。
「おまえがやりたいならやれ」ってね。

 

次回に続きます!!

  


Posted by ルーコです。  at 13:22コメント(0)永田や佛壇店社長 永田浩三さん

2008年04月03日

永田や佛壇店 永田さん 第二回

〜企業って人でしょ、一番大事なのは。 〜
 


コンピューターの学校に行ってらっしゃる頃に、
デザインの勉強もされたんですか?


 
それは、ぜんぜん。僕がコンピューターの学校に行ってた頃は、
まだコボルとかフォートランというコンピューター言語の時代で、
WINDOWSが出る前。
今、その頃の知識はまったく使えない。
すごく勉強はしたけどね。
2年間は東京に遊びに行ってたと考えた方がいいかも。
人生勉強かな。

 
どんな遊びをなさったんですか?(笑)



 
それはご想像にお任せします。(笑)




 
東京は楽しいところですよね。



 
そうだね、でも・・・東京2年、大阪2年半いたでしょ、で、どちらに住みたいかと聞かれれば、僕は大阪って答えるね。
愛知県や東京の人で、大阪で住んだことがない人にとっては、大阪ってけっこう抵抗感あるんじゃない?
ちょっと怖いな、とか、井上社長はそう思わない?

 
そうですね・・・確かに、怖そうな気もしますね。



 
でもね、いっぺん入り込んじゃうと、すんごいいいよ。
大阪は人情味あふれててね。
でも、やっぱり一番好きなのは岡崎。



 
岡崎のどういうところが好きですか?



 
城下町ですごく住みやすいし・・・。




 
住みやすいというのはどういうふうに?



 
東京や大阪は渋滞するし、物価も高いし。
岡崎は、買い物するにもすぐそばにイオンがあったりとか、
本屋さんにすぐ行けたり・・・それなりに自然もあるし。
岡崎公園の桜とか、花火大会とかのイベントもあるし、
僕は好きだなあ。

 
文化もあっていいですよね。



 
八丁味噌さんにしても、古くからあるでしょ。そういう古くからの企業さんがあって、そういう岡崎が僕は好き。



 
ところで、デザイン制作ソフトのフォトショップやイラストレーターも
使えると聞いていますが・・・




 
そうだね、それは、独学でね、参考書見て。
ちょこっとした広告の原稿作ったりするのは、自分でイラストレーターでちゃちゃちゃっと作っちゃう。
でも、野立ての看板も、今まで自分で原稿作って看板屋さんに渡して作ってもらってたんだけど、
この間、ルーコさんに作ってもらって・・・やっぱりプロの人が作ったものは違うよね、イメージが。

 
ありがとうございます。



 
これからは、イメージを大切にした方がいいし。
広告が素人っぽいと、企業のイメージがダウンしちゃうしね。
そういう部分で、少しでも深みを感じてもらえる企業にならないと、生き残れないよね。

 
入社して社長になるまでの間、当時の社長、つまり今の会長の
指導は、どんな感じでしたか?


 
いや、指導はなんにもなかったよ。




 
見て覚えよ、ということでしょうか?



 
そうだね、うちの社風がそうだから。
指導といえば、修行先の社長から教えられたことがあって・・・
2年半修行したそのお仏壇屋さんは、300年の歴史がある会社で、残念ながらその後倒産しちゃったんだけど、大阪ではすごい老舗で、そのやり方っていうのは、やっぱり独自性があって、勉強することがたくさんあった。
そこの社長に言われたのは、
「永田くん、会社に戻って、多々言いたいことややりたいことはあると思うけど、1年間は、何も動いてはダメだ」ってことだったのね。
帰ってきて、永田やの社風とか仕事の流れとか、確かに感じるところはすごくたくさんあって、これをこういうふうにした方がよくなるのになと思ったけど、でも大阪の社長に言われてたから、黙ってた。
言われたことの本質っていうのは・・・たとえ息子だとしても、所詮2年半勉強したぐらいでとやかくいきなり言うと、まず社員の反感を買うよねってこと。
岡崎は岡崎のやり方があって、歴史もあり社風もあるからそれにとやかく言うのは、まず1年間じっくり見て、それからでも遅くない、という指導なのね。
1年間実際働いてみて、最初は、思うことあった部分も、岡崎、三河はこのやり方が合ってるなと。
大阪とは違う、うちはうちなりのやり方がある、と気づいた。
帰ってきてすぐ、あーだこーだ言わなくてよかったと思ってる。
1年たってそれでもこれは改善した方がいいと思ったことに関しては、徐々に、本部長になってから、改善していった。
最初は営業だったから、この三河の地に慣れようと思って、がむしゃらに営業したんですよ。
最初は知立の店。そのあと西尾。そのあと豊橋店の立ち上げのときに豊橋に配属された。
永田や佛壇店初の東三河出店だったのね。
そのとき永田や佛壇店っていうネームバリューはそれなりにあっても、付き合い先のお寺様は一切なかったので、300のお寺様をひとりで回った。
そういうことをしていきながら、そのときのうちのシェアというのがわかってくるよね。
そのシェアを、もうひとつ上げるには、今永田や佛壇店に何が足りないのかということが見えてくるのね。

 
ここが足りないとか、改善した方がいいと思ったことのうち、実際に改善したのは、どんなことでしたか?


 
まず、会議というものがほとんどなかった。
社長のリーダーシップでトップダウンだった。
あとは、店長の才覚で各店の売上が作られていた。
会議が必ずしもいいものとは言い切れないけれど、まったくないっていうのも、各店間のコミュニケーションが取りにくい。
仕入れも各店まかせ。
それをやってしまうと、統一したチラシが作れない。
商品コンセプトを明確にして、永田やは、こういうコンセプトで売っていくんだ、これをオリジナルで作ったから、各店で力を入れて売っていこうという統一が図れなくなってしまうから、一括で本部仕入れにして、で、各店におろしていく、という仕組みにした。
それを、本部長から専務の時代に徐々に行った。
僕が本部長の頃、兄が専務だったので、一緒に、どういうふうにしていこうかと話し合って、進めていった。

 
なるほど・・・。その他には?



 
変えたことはほんとにいろいろあって、もうあまり覚えてないけど・・・
全部コンピューター化したこと。
それまで、帳面だったからね。
ちょうどWINDOWSの出始めの頃。
トータル的に、パソコン上でのシステム化をした。

 
副社長である弟さんとは、どんなふうですか?



 
副社長とは、席が隣で、毎日コミュニケーションとれるし、問題ないです。
兄とは勤務地も離れてるし、なかなかコミュニケーションがとれないので、それだとどうしても経営方針にズレが生じてきてしまう。
だから兄弟会議をたまに設けて、名古屋で飲んだりしてる。
うちの兄弟は、めちゃめちゃ仲いいよ。
業界でも、永田3兄弟は仲がいいで有名。
3人3様の性格。
兄は、尾張のCOOで、どちらかというと現場でトップに立って、バリバリお仏壇を売っていく。
僕は、今はもうほとんどお仏壇を販売していないんです。
経営の方で、試算表を毎日見ながら、経費をどういうふうにしようかとか、仕入れコストをどう抑えていこうとか、バランスシートを見ながら、いい方向に施策を考えてる。
あとは広告宣伝の担当を任されてるね。
弟は経理。
お金のことは全部任してる。
永田やの大蔵省。
彼の許可がないと、お金が1円も出ない。
すごく心強い。
僕も変な領収書出せないんだよ。

 
すごくいいバランスですね。




そう、3人3様で、それぞれのいいところを伸ばすことができる環境にある。
経営は、トータル的にバランスがよくないといけない。
売るのだけ突出しているとか、部下育てだけ突出しているとかじゃ、経営者としてはNGなのね。
すべてのマネジメント能力が平均的にバランスとれてないと、トータル的に会社を経営していくことができない。

 
バランスのとれたマネジメント能力を培う過程は、やはり、努力ですか?





 
そうだね、勉強はしたよ。
いろんな本読んできた。
会計法とか、P/LやB/Sの読み方だとか。
専務の時代にがむしゃらに本を読んで、経営者の方のいろんな考え方に触れて、吸収して、今の自分の考え方に落ち着いたというか・・・。
高校時代までは、ほんとに勉強ぎらいで勉強しなかったけど、会社に入って必要に迫られて、「これは勉強しなくちゃ」と思ってからは、すーごいがむしゃらに勉強したよ。
どうしたら社員がついてきてくれるのか、認めてくれるのか・・・。
経営者というのは、いろんな質が問われるでしょ?
カリスマ性があるのか、徳があるのか、経営センスがあるのか・・・。
すべて取り揃えていないと、人ってなかなかついてきてくれない。
企業って人でしょ、一番大事なのは。
僕が一番大切にしているのは社員さん。
社員さんに働きやすい環境を、どうやったら作れるのかを考える。
社員さんが満足していないのに、お客様に満足していただけるわけがない。
そのためにはまず自分が魅力ある人間にならなくちゃいけないからね。

 

次回に続きます!!


  


Posted by ルーコです。  at 17:48コメント(0)永田や佛壇店社長 永田浩三さん

2008年04月12日

永田や佛壇店 永田さん 第三回

〜壁を壁と思わない〜



仏壇の素人から見ると、若い世代の人たちに、仏壇の価値を感じてもらうために、仏壇屋さんは今後どうしていくのかなと思いますが、そういったところはいかがでしょうか?


僕は基本的に、お仏壇の価値を、お客様に理解していただくことよりももっと大切なことがあると思ってます。
お仏壇って所詮は箱なんですよ。
ブログにも書いたけど、一番大切なのは、ご先祖様を敬うこころ。
仏様をおまつりしたいというこころ。
そのこころが強くなればなるほど、大切に敬いたいっていう気持ちが強くなるから、それがお仏壇のニーズにかわってくる。
収入によってお仏壇にかけられる金額は、お客様によって様々。
1000万円でもまだ余裕がある方もみえれば、10万円で精一杯気持ちを表したという方もみえる。
お仏壇の金額よりもお客様の、そういった気持ちを大切にしたい。
僕はいつもそう思ってます。
たとえば、30代や20代の人が、そういう気持ちになったとはいっても、そんなに強くはない。
一方、死を意識した人、そういう年齢の人にとっては、ご先祖様を敬ったり、仏様に手を合わせたり・・・それが、自然とお仏壇が欲しいという気持ちに変わってきます。
お客様に「いくらぐらいのお仏壇を買ったらいいんでしょうか?」と聞かれることがあるんだけど、なんて答えるかというと・・・
「ご先祖様や仏様に精一杯やってあげたんだという気持ちがご自身で感じられる金額でいいと思います。
人によって、10万円の場合もあるし、1000万円でも感じない方もみえると思いますので、金額より気持ちを大切にしてください。」とお答えしてる。


そういう中でも、豊田のメモリア店のような、現代の暮らしにとけこみやすい雰囲気の仏壇に関しても、今後取り組んでいかれるんでしょうか?


うん、もちろん、お客様のニーズっていうものがあるから、メモリアのような家具調仏壇、今の住宅事情にマッチした商品は、これから伸びるアイテム。
マンションを買った人で、お仏壇をこれから購入することになった場合、マンションにはおっきなお仏壇は置けないよね。
でもやっぱり置きたい、ご先祖様をおまつりしたいという気持ちのお客様が、これから増えていくと思う。
そういったお客様のニーズに合った商品を、メモリアには用意してある。
だから年々、家具調仏壇の販売本数は、増えてますね。
お仏壇にお精が入るわけじゃない。
仏様にお精が入る。
それをおまつりするお社がお仏壇。
おまつりしたいという気持ちさえあれば、みかん箱でもいいんです。


(ルーコ瀧が口をはさむ)さすがにみかん箱じゃまずいでしょう(笑)

いや、みかん箱でも手を合わせれば、立派な祭壇になるんだよ。(笑)。




あっ、これおいしーい。




(ルーコ瀧)蟹を揚げて、カレー風味にしてるんですよ。

あっ、おいしーい。





(ルーコ瀧)マスターがお勧めのものを作ってくれてます。


ネットショップを始められたのは、永田社長ご本人だとか。
どういうふうにやっていこう、という計画はあったんでしょうか?


いや、とにかく何でもやってみようかなって思って。
反応がなければやめちゃえばいいし。
スクラップアンドビルドです!
でもそれが意外にも反応があったから。
もともとは、ヤフオク(YAHOO!オークション)を始めた理由は、ネット上にうちの名前がたくさんあったらいいなと思って。
ヤフオクで商品を出していると、けっこう検索にヒットする。
永田や仏壇店っていう名前がネット上で表示されるために、商品をガンガン出品していこうと。
それが、今ではけっこう売上が作れるストアになった。
ただ、ヤフオクだけの売上が問題ではなく、「ヤフオクを見たんですけど」と言ってご来店下さるお客様がたくさんいて、それがとても嬉しいですね。
販売業に関しては、今もこれからも、ネットなしでは考えられない。
今の若い人って、ネットで調べてから動くっていう人が多いと思うんだけど、そのときに、永田や佛壇店っていう名前がヒットするように仕掛けていかないと、時代に後れてっちゃう。

では、そろそろ・・・
ルーコ井上社長に聞く・・・・でいきますか?(笑)




いえいえ(笑)。
あのー・・・ここまで話を聞いてきて、ものすごく・・・カッコいいんですが、ちょっとカッコよすぎますので(笑)・・・カッコ悪い話があったら教えていただけますか? 失敗談とか。


そりゃもう、失敗談なんか仕事上ではたくさんあるよね。
でも弱味を見せない、弱音を吐かないのも経営者の仕事なんです!


一大危機はありましたか?壁にぶちあたったとか。




僕ね、ごめん、壁にぶちあたったことないの。





すばらしいですね!さすがですね!




それはね、なんでかっていうと、壁を壁と思ってないからだよ。
ブログのプロフィールにも書いてあるけど、楽天家なの。
楽天家って、壁を壁と思わないんだよ。
横からすり抜けてっちゃう。
だから、いい性格だなと思う。
・・・じゃなきゃね、正直言って経営者やってられないよ。
楽天的じゃないと精神的に壊れちゃう。


そうですねー。
私、今はだいぶ変わってきましたが、来た〜っ!かべーっ!乗り越えるぞーっ!てやってきまして、クタクタになってた時期がありました・・・。


そりゃダメだよ。僕なんかね、ケセラセラの人生なの。





(笑)ケセラセラ!すばらしいですね。






ケセラセラの人生でいいんだけど、経営に関してはケセラセラではいけないんであって、綿密な計画を立てながら、うまくいくように、経営者が操作しなくてはいけない。
だけど、なるようにしかならない。
いっくら自分で努力しても、なんとかしても、潰れてっちゃう会社ってあるでしょ?
経営者に責任はあるんだけど、時代の流れもあるから。
時流はものすごい勢いで流れてるから。ちょっと油断してるとその濁流に飲み込まれることもあるんだよね。


仕事上、大切にしている言葉や信条はありますか?




座右の銘はね、「座右の銘はない」(笑)。
座右の銘というのは、時代によって変わるべきものだと思ってる。
時代はものすごいスピードで流れてるでしょ。
ひとつの座右の銘に縛られていては、絶対乗り後れるときがあると思う。
だから、「座右の銘はない」。

あと、自分がすごく大切にしているのは、ご縁。
お客様とのご縁は一番大切なんだけど、それと同時に、業者さんや社員さんを含め、ご縁を大切にしたいんです。
経営者にとっても一番難しいのは社員教育だと思う。
切り捨てるのは一番簡単な方法。
だけど、その社員さんとご縁があった以上、そのご縁を大切にするっていう考え方で、その人のいいところを引き出してあげるのが経営者の能力。
それができなかったら経営者として失格だと思う。
100のうち、99、ダメなところばかり目に付く人でも、残りの1の良いところを見つけて、その1を伸ばしてあげるのが経営者であって、それができなければダメだと思ってる。
ご縁があって入社していただいた方に関しては、ほんとにそういう部分を伸ばしてあげたいなと思ってる。


採用面接は、永田社長ご本人がされているんですか?




うん。
僕は基本的には来るものは拒まず方針で、よっぽど問題がない限り、採用。
随時採用だから、選ぶ、ということもない。
はい、じゃあ、いいよ、明日からよろしく、みたいな。


どんどん増えませんか?




そんなにどんどんは増えないよ。
若い子に人気のある業種じゃないから。
かと言って、若い子不足ってことじゃなくて・・・。
まあまあ年を重ねた人の方が、お客様に安心していただける商売だからね。
店頭に、僕と、昨日入社した60才近くの社員さんが立っていたとしたら、お客さんは、社員さんの方に、話しかけるからね。
そういう業種ですね。


社員さんを大切にされているから、定着もしますよね。




そうだね。僕は厳しくないしね。
ちゃらんぽらんだしね(笑)。




しかることは?




ぜんぜんないよ。
あっ!でもカルシウム不足になるとやばいかも!




ほめて伸ばす方ですか?




そんなにほめもしないね。





どう接しているんですか?




フレンドリーに。
そして、適材適所。
おかげさまで、うちはいろんな部署があるから、営業で入っても営業が苦手っていう場合もあるから。
うちは物故営業といって、亡くなった方のところへ訪問して営業する仕事があるんだけど、それって、精神的にダメージ受ける場合があるのね。
どうしても敷居をまたげない・・・。
そういう社員さんに、無理にやらせても、お客様のためにならないし、本人のためにもならないから、人事異動して・・・。
人を見て、適材適所で社員さんを配属するのが僕の仕事。




これからの夢はなんでしょうか?




夢は、やっぱり、社員のみなさんに「ほんとに永田やで働けてよかった」って言ってもらえる会社にすること。
今、従業員さんが85名いるけど、全員が全員満足しているわけではないと思う。
社員さんがかかえる不平、不満を経営者が取り除いていくようにしないと、ほんとにお客様に満足していただける接客や納品やアフターサービスはできないと思うのね。
お客様はもちろん大切だけれども、まずは社員さんを大切にしないと、いい仕事は絶対にできない。
経営者って、社員に働け〜働け〜じゃダメだと思うんだよね。
もっとフレンドリーに、一緒にがんばっていこうねーってしていかないと。
そして、経営者は常に素直さと謙虚さを忘れないこと、それが大切だと思ってる。

ところでおいしいね!ここの料理。
さっきの蟹。蟹おいしかった〜。

話戻すけどね、両親からの愛情を感じることがなかったって言ったけど、ほんとに3人の中で一番不出来だったし、できの悪い子ほどかわいいのか知らないけど、修行先も親父が見つけてくれたし、今の自分があるのも、両親が育ててくれたおかげだし、今の自分の立場があるのも、両親が永田や佛壇店をここまで築き上げてくれたからこそだから、それがあって自分は、壁にも当たらず仕事ができていると思う。
なんだかんだ言って本当は両親にとても感謝してるんです。
両親が苦労してきた度合いに比べたら、僕の苦労なんて、“く”の字にもあたらないよ。
毎日ブログみて、コメントして(笑)。


いつもありがとうございます(笑)。
一位おめでとうございます。



ありがとうございます(笑)。
やると決めたからには、絶対1位になろう、と思って。
いろいろ勉強したよ。
三河でブーログが盛り上がって、
全国のネットユーザーに、「三河に遊びに行くなら、じゃ、ブーログ見ようよ」ってブーログで検索する・・・そんなポータルサイトになったら嬉しいもんね。
そんなときに、ランキング上位にある永田や佛壇店という名前が目に入る・・・永田や佛壇店っていう仏壇屋さんがあるんだなって思ってもらえたら、うちにとってこんなに嬉しいことはないからね。



■今回のインタビュー会場
〜Twice(トワイス)〜
住所:豊田市竹生町4-62 1F
TEL:0565-37-8737
営業時間:17:00〜03:00(O.S.02:00) 日曜日17:00〜0:00(O.S.23:00)
定休日:月曜日



  


Posted by ルーコです。  at 12:00コメント(0)永田や佛壇店社長 永田浩三さん