シーピーセンター鈴木さん 第二回

ルーコです。

2008年03月12日 19:24

〜知恵で勝負!
誰も目をつけていないものに目をつける・・・
仕事が楽しくて仕方なかったよ。〜




リース会社から事務機器などを引き取ってくる仕事は、鈴木社長が考え出したビジネスモデルと聞きましたが、今では普通になっていることでも、最初に考えついて取り組んだというのはすごいですね。

個人で創業した当初(平成7年)、パソコン集めるというのは、環境問題じゃなかった。
集めること自体が仕事。
パソコンの新品がまだ100万円くらいしたときだから、パソコンは回収すると商品になった。
1998年の産業廃棄物処理法ができて、それをきっかけに環境問題につながっていった。
それまで、ぼくが回収してきたものの大半は、スクラップの材料問屋へ持っていってたけれど、
環境問題がでてきて、リサイクルの提案を企業にするようになった。


素早い対応ですね



そう、経営者は計画だけではダメ。実行力が大切。
産廃を産廃にしない。そうこするうちに、ISOという国際基準がでてきて、人の意識がより環境へ向いた。
僕の事業は、産廃から環境、情報処理へ向かった。


成長するときだからこその、大変さもあったんでしょうか?



そうだね。どんな商売も、積み上げだよね。
伸びていけばコストが下がってよくなるけど、経営ってものは大変だね。
設備投資をして、人が増えればその分大変になる。
個人からはじめて、今10年目。
年30パーセントくらい成長しているけど、えらい。きつい。厳しい。
伸ばせば伸ばすほど、きついね。
経営は苦労。でも、いろいろ乗り越えてがんばっていかないとね。
10億の投資を決めたときは、売上2億7千万円で、
いいところへ持っていくまでには、12億円〜15億円の売上にしないといけない。
新社屋、物流の車両、社屋の中の機械・設備、関東の450坪の倉庫・営業所、
関西の150坪の倉庫・営業所、水の自販機新規事業(多角化)
夢と目的・・・8割は達成しているかな。でも燃料の高騰化などの社会事情で2割が打撃を受けている。
打撃を受けやすい業種なんだよね。


現状を受けて、今後の事業展開をどうするといったことは、もうご計画中ですか?



関東・中部・関西に拠点がかまえてあるので、それをどういかして会社をつくっていくか。
九州や東北にもでていきたい。タイ・シンガポールなど東南アジアにもでていきたい。
同じ事業で、海外でも、コンピューターの技術が進んでいて、データの管理・処理をちゃんとしようと提案できたら・・・
うちのビジネスモデルが海外でも通用すると思う。


先を見て、目標を掲げているんですね



夢は高くもたなきゃ。ハードルは高く。
低いとコストを超えることすらできない。
高すぎても超えられない。(笑)
けど、これを超えるために何をしなきゃならないか・・・
自分たちがかかげた売り上げ目標の達成。
たくさん労働しなきゃならないつらさはあるが、しゃにむに働いて、達成したときの喜び、報酬を、若い子たちに味わわせたい。


そういった喜びを知っているからこその、気持ちですね。



創業前は、ある運送会社の役員だった。
バブルがはじけて、運転手のリストラをやることになった。
それを2年かけてやり終わったら、オイルショックで僕もリストラ。
子どもがみんな大学へ行ってたから、食っていけなかった。
40過ぎのお父さんを雇ってくれるとこはないし、学歴もない。学歴はないけど知恵がある!


生きていくための力ですね。



自分で何かやるしかないということで、始めた。
 たまたま運送やってるときに、スクラップ運んでいて、これはお金になるんだろうなと思ったから、“よし、粗大ゴミを運んでお金にしよう”と。でも、娘が、豊田で拾うのははずかしいと言うので、名古屋まで拾いに行った。
冷蔵庫・エアコン・テレビ・・・を集めてきた。
日本で使わなくなったものでも、海外へ持っていくと、十分使えるものだから、台湾や中国の人とやりとりして、冷蔵庫5000円、エアコン7000円とか、お金になった。
一生懸命トラックで集めに行ったね。でも、いいことは長くは続かないんだよ。
それを見ていてマネする人が出てきた。


お金になることは、誰かがマネしだすんですねー。



そう、粗大ゴミを拾って運ぶ、という市場にライバルが出てきた。
それまでは、朝の5時くらいに行けば、たくさんあったのに、ライバルの登場で、朝5時に行ってもなんにもない。
僕は商売としてやろうとしていたけど、ホームレスがやりだした。商品がなくなる・・・
さらにその頃、リサイクルショップがブームになってきた。
新品は、メーカーへ行って仕入れれば同じものが手に入るけど、リサイクルショップはそうはいかない。
夜中の1時に拾いにいかないと、ない。そんな時間に拾ってると、泥棒みたいだよね。(笑)
“この事業も、2年くらいで終わりだな”と思ったね。


それから、どうされたんですか?



今度は、いろんな家電ショップに、「いらないものないですか?」と聞きに行くようになった。
家電ショップには、一般家庭から引き取ってくるものがある。
みんな、処分屋さんにお金払って引き取ってもらっていたので、僕が行くと、
「タダで持っていってくれるなら、あげるよ」と。
電気屋さんを3件回るとトラックいっぱいになった。
ひとりでやってる分には、お金になったね。
だけど、これを企業としてやっていくにはどうしたらいいか、と考えたとき、たまたま東京でパソコンの回収をしている若者に会った。彼は「今はパソコンの中古を集めるときだよ。」って言っていたね。
そのとき僕45才。
パソコン回収の若者は、一人で、売上2億〜3億あげていた。
パソコンの新品がまだ100万円くらいしたときだから、回収して40〜50万円で売れる。
リース会社で2000円とか3000円で売ってもらうわけなので、大変儲かる。
まだパソコンが一般化していない時代だからね。
ハードディスクのないコンピューターの頃。
そういうものがお金に換わることはわかった。
どういう流れを作ったら、ビジネスモデルになるか、と考えた。
回収したパソコンは、どこでどうやって使われるのか・・・ 
企業だよね。それもパソコンが2〜3台ある100人くらいの会社。
そういうところへパソコンを回収にいく仕事をしよう、と。
最大手のリース会社、ダイヤモンドリースさんや住友リースさんに提案書を持って話に行ったのが、12年くらい前。
「あんたおもしろいこと考えるね」と言われた。
まだ、誰も気づかない、やっていないことだったから。今は、ライバルいっぱい。



目のつけどころがいいですね!



誰も目をつけていないところに目をつけ、事業を始める・・・仕事がおもしろかったー。
創業当初は3人。
パソコン集めに、北海道や九州へ行って車の中で寝る。
その頃は、トラックの中で野宿してたね。
リース会社がお客様で、所有者はリース会社で、使用者が全国に広がってる。
「全日空さんのものをひきとって」は「日本中の空港に置いてあるけどいい?」ってことだよね。
トヨタレンタリースも日本中。
仕事としては、ハードだけど、会社の用事で全国へ行けるから楽しい。
外へ出て行くことが好きな人は、楽しいと思うよ。(笑)
トラックの仕事と違って、時間にゆとりがあった。
「これがいくらになる」という計算もできた。
たとえば、九州の鹿児島空港の日本航空さんに、パソコンが10台あるという連絡が入る・・・
リース会社から2000円、売るのは5万円。10台で50万円になるわけ。
飛行機で行って、レンタカーで回収して、温泉入って帰ってきても、十分採算がとれた。
今はそういうわけにいかないけど、当時はライバルがいなくて優雅だった。
始めたばかりのときは、楽しかったー。(笑)
 今は、パソコンの価値が、10分の1から15分の1しかないから、大変だね。


大当たり!ですね!



それでも、いつもいいストレートが出るとは限らない。
いつもヒットが出るとは限らない。
野球で言うと、ちょうど今中盤。
5回の裏あたりで、厳しいところだね。
恋愛でも中盤が難しいでしょ。(笑)
ゴールが見えない中盤は、モヤモヤしていて。
結婚に行くまで、長い期間恋愛していたら、結婚に至らない。
案外、終わりも早い。
考えるまでいかない。僕なんか、一気に決めちゃう。
結果よければ、よし、っていう感じで(笑)。


今の奥さんおきれいですよね。



きれいっていうより、賢いよ。
だんなを手のひらで転がしてる。(笑)
うまいことネジまいて、うまいこと外へ出て行くようにしてる。
家庭の中の整え方が、とてもうまい。
うまいよなあと、思う。すごいなあと、思う。
それを世の中の女性がやったら、
男の子なんかみんな一生懸命がんばっちゃう(笑)。



次回に続きます!!


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