2008年03月28日

永田や佛壇店 永田さん 第一回

〜「あなた変な人ね」と言われると嬉しくなる(笑)〜

永田や佛壇店 永田さん 第一回


では、今日はルーコ井上社長にインタビュー、ということで(笑)。
あれ?やっぱりだめですか?


 
だめですよ(笑)!永田社長インタビューです。
永田社長がどんな人生を歩んでこられたかをお聞きしたいと思います。
では・・・少年時代から。どんなお子さんでしたか?

 
そんな・・・昨晩何を食べたのかも覚えていないのに子供の頃なんて・・・
たぶん、今と変わらないですね。今も昔も精神年齢はお子ちゃまです(笑)。

 
えっ・・・(笑)。では、永田社長がどういう人かをじっくりお聞きしたいですね。



 
僕のことを知りたければ、「B型自分の説明書」を読んで下さい(笑)。




永田や佛壇店 永田さん 第一回

 
(笑)典型的なB型?



 
あの本読んで思ったんだけど、あれはまさに自分ですね。
わがまま。人がやる気満々だとやる気が出ない。
人がやる気がないと、やる気満々になってくる。
「あなた変な人ね」と言われると嬉しくなる(笑)。

 
ちょっとやな人ですね(笑)



 
そう、実はやな人(笑)。




 
では、少年時代も、何か面白いことして「変な人」と言われてたんですね。



 
そう、いたずらっ子。女の子にちょっかい出して、喜んでた普通の小学生(笑)。



 
お父さん・お母さんは、どんなふうでしたか?



 
商売人の子どもで育ってるから、放置プレイ。
両親に育てられた記憶がないんです。



 
誰に育てられたんですか?



 
お手伝いさん。
親の愛情は、あんまり感じたことなかった。
僕が幼少の頃は、お店のすぐ上が住まいの小さな仏壇屋さんだったので、
両親が一生懸命働く姿を見て育ったんだよね。
お仕事頑張ってるんだって頭では理解できても、子供の心ではなかなか理解できない。
寂しい、というのがずっとトラウマのように、先々まであったかな。
 
康生町の、永田や発祥の地にビルを建てたのが、僕が小学校1年生のとき。
それまでは、ほんとに小さなお仏壇屋さんだった。
そこから、知立・豊田・・・父がどんどんお店を増やしていって、
今の永田やに至る、ということで・・・
父が中学生のときに、父のお父さん、つまり僕の祖父が病気で亡くなってる。
親父は高校卒業してすぐ仏壇屋の手伝いをしなくてはならなかった。
弟・妹のお父さんがわりもしながら、仏壇屋の店主もしながら、
ほんとに頑張って・・・母と結婚してからは母も店に入って。
祖母と3人で頑張ってた。
普通の会社員の家庭と違って、自宅からお店に降りれば両親はいるわけだから、
頑張ってる姿を見ることができたという点はよかったよね。
父も配達とかで留守がちだったけど、その姿を僕たちに見せることが親の愛情だったのかもしれないね。

 
 
お父さんとはほとんど接する機会がなかったということで、
厳しいとか、やさしいとか、そういうこともわからない状態だったんでしょうか?

永田や佛壇店 永田さん 第一回

 
いやいや、たまに接するだけでもすごく厳しかった。
僕は次男坊だからまだいいけど、一番殴られていたのは兄。
まあ昔はそんなの日常茶飯事だよね。
何か悪いことしたら、ばこーん!と叩かれてね。
真っ先に叩かれるのは兄で、
僕は、それを見て、臨機応変にかまえてた(笑)。
すごく要領がいいと思う。
3人兄弟の中でも一番要領がいい。

 
確かに・・・いい意味で要領のよさそうな空気はありますね。



 
その場の空気を読み取って、それに合わせることができる、とは自分でも思うところ。
人が何を考えてるのか、感じてるのか、ということを
感じ取る力はすごくあると思う。

 
人が盛り上がってるときに、冷静になっていたり・・・?



 
もともとお酒が好きじゃないし、飲まないので、
飲み会なんかでは、合わせてるけれど実は冷静に見てるね。
経営にしても、感覚の部分はあるけど、僕は分析屋タイプなので、まず分析から入る。

 
お父さんのことをお聞きしましたが・・・
お母さんはどんな方でしたか?


 
母親のことは・・・あまり覚えてない。
幼少時代に、たまに家族旅行に連れてってもらった記憶はあっても
普段愛情かけてもらった記憶がほんとにないんです。

 
ご兄弟が寝る頃に、お母さんが帰ってくる、という生活・・・?


 
うーん・・・康生のビルを建てる前の保育園時代の記憶がほとんどないんです。
建ててからの記憶は・・・自分の部屋をそれぞれ与えられて、そこで一人で寝なさいよ、だったから・・・。
小学校の1年生や2年生だったら、たまにはお母さんと寝たいと思うでしょ・・・。
でも、母は店を夕方遅くに閉めて、それから帳面つけて・・・
って仕事をしてたから8時9時にならないと家に上がってこない。
子どもはもう寝る時間だから、接する時間がぜんぜんなかった。
それでも夜中に怖い夢を見て、甘えて一緒に寝てもらったのは兄弟の中で自分が一番多いかも。
とても怖がりで甘えん坊だったんです。

 
その後、お兄さんが大学へ行って・・・家を出られたんですか?


 
兄は、出来がよかったから、大学も一流で慶応。
東京へ出て行ったよ。
弟は国立大だしね。
僕は、3人の中で一番出来が悪かった。
高校からもう勉強するのがいやだった。
これからコンピューターの時代が来るのかなと思って、東京のコンピューターの専門学校に行かせてもらった。
2年間勉強して、卒業したと同時に、大阪の仏壇屋さんに修行で2年半。
東京の町も大阪の町も見て、で、昭和の終わり63年に岡崎に帰ってきて永田やに入社した。
10月に帰ってきて、3ヶ月くらいで平成になった。
それからもう20年、だね。


永田や佛壇店 永田さん 第一回


帰って来い、と言われたんでしょうか?



 
いえいえ、修行は2年半って最初から決まってたよ。
期間限定。
帰ってきて、とりあえず、営業。

 
入社はとても自然な感じで・・・?



 
まあ、最初から帰ってくることわかってたからね。
兄は先に帰ってきてたし。



 
少年時代から、そういうものだと認識していたということでしょうか?



 
両親が頑張っているのを見て育ってるから、
「僕も仏壇屋をやるんだなー」と自然に思うよね。
まあ、やらなくても何にも言われなかったとは思うけど。
親父にやれって言われたことは一度もない。
「おまえがやりたいならやれ」ってね。

 

次回に続きます!!




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Posted by ルーコです。  at 13:22 │コメント(0)永田や佛壇店社長 永田浩三さん

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